「いらっしゃい。はじめまして、よね?」
週末のスナックいびき。23時を過ぎたころ、常連客で賑わうところに1人のビジネスマンが来店した。一目で上等な仕立てと分かるスーツを着たその男は、スナックいびきには少し場違いだったが、男の方はそんなことは意に介さずといった風に堂々と店内へ足を踏み入れ、ママの目線に促されるように入口に一番近いカウンター席についた。
「はい。知り合いからこのお店とママの噂を聞きまして」
その言葉と表情にピンときたママは小さくうなずくと、男にだけ聞こえるような小さな声でささやいた。
「あの常連さんたち、いつもだいたいこの時間でお開きになるから、ちょっとだけ待っててもらえるかしら?」
「もちろんです」
男は日本酒をオーダーすると、手酌で飲みながら今朝見た夢のことを思い出していた。
会議室に怒号が飛ぶ。
『おい、起きろ! 眠いなら顔洗ってこい!』
『やる気がないならこのプロジェクトから君を外す、後任は……』
焦りに口が乾き、冷や汗がにじむ。
『違うんです、これは……』
「ちょっと。大丈夫?」
肩を揺すられて、男は現実に引き戻された。と、同時に、いつの間にか寝入ってしまっていたことに気づいた。いつもと同じだ。
「すみません。最近いつもこうなんです」
「どういうこと? 常連さんたちはもう帰ったから、ゆっくり話を聞かせてちょうだい」
男は自己紹介を織り交ぜながら、スナックいびきを訪れた経緯を丁寧に話し始めた。
男は名前を司といった。勤め先は総合商社で、最近念願の海外担当となり、月の半分は世界を飛び回っているらしい。やりがいのある仕事を任され、まさにこれからという重要な時期でもあるようだ。
「そんなときなのに、最近突然の眠気に襲われるんです。ひどいときは気づかない間に一瞬寝てたりすることもあって。重要な会議でも、部下の話を聞いているときでも、時と場所を構わず猛烈な眠気が襲い掛かってくるんです。早く寝るようにはしているんですけど、それも時間の問題かもしれません。自分ではまだまだ若いと思っていたんですけど、俺ももう歳なんですかね。それとも、緊張感が緩んでいるだけなのか」
苦笑いを浮かべる司とは逆に、ママの表情は険しい。
「なーに寝言みたいなこといってんのよ。それだけじゃないでしょ? さっき、いびきかいていたわよ。それに、なんかうなされているみたいだったけど」
指摘された司は、苦笑いを消した。
「さすが、噂どおりだ。そうなんです。実は海外担当になった頃から妻にいびきを指摘されるようになったんです。それに、眠りが浅くて何度も同じ悪夢を見るし、睡眠時間をいくら確保してもぐっすり眠れた感じが全然しないし。俺の体はいったいどうなってしまったんだろう……」
うなだれる司に、ママはひとつの可能性を口にした。
「その睡眠のトラブル、もしかしたらいびきのせいかもしれないわよ」
「いびき? どういうことですか?」
「ちょっと長くなるかもしれないけど、時間は大丈夫?」
「もちろんです! 自分で思いつく方法はすべて試したけど駄目だったんです。改善の可能性があるなら、ぜひ教えてください」
「お安い御用よ。ただし、ここからは居眠り禁止よ!」
いびきの種類
いびきの種類
日中の強い眠気や集中力の欠如。それはもしかしたら「いびき」のせいかもしれません。いびきは大きく2つの種類に分けることができます。
- 単純いびき症
- ストレスがある
- 最近疲れ気味だ
- よく晩酌をする
- 鼻が詰まっている
飲み会の翌日や、花粉症シーズンで鼻が詰まっているときにいびきを指摘されることが多いということはありませんか。このようなストレス、疲労、飲酒、鼻づまりが原因となって起こるいびきが単純性いびきです。
単純性いびきの場合は睡眠中に呼吸が止まったりするといった呼吸障害や、何度も目が覚めるなどの睡眠障害は見られません。
- 睡眠時無呼吸症候群(SAS)
- 起きたときに口が渇いている
- 熟睡感がない
- 日中の強い眠気がある
- いつも疲労感がある
- 集中力が続かない
自覚症状として起床時や日中のこうした症状に思いあたり、かつベッドパートナーに「睡眠中に呼吸が止まっていた」「一瞬いびきが止まり、大きな呼吸とともに再びいびきをかきはじめた」といったことを指摘されたことがあったら、睡眠時無呼吸症候群の可能性があります。
いびきが睡眠時無呼吸症候群を伴うものだった場合、高血圧、脂質異常症などの生活習慣病のリスクが高まるほか、昼間の眠気が交通事故や労働災害などの重大なリスクを高めることにもつながりかねません。早めに医療機関を受診し、治療をすることが大切です。
「自覚症状が睡眠時無呼吸症候群の可能性がある人に見られるものとぴったり当てはまってる! しかも、生活習慣病のリスクや、日中の眠気が交通事故や労働災害のリスクを高めることになるなんて……」
呆然とつぶやく司にママは問いかけた。
「いびきのことで、奥様は具体的に何か言ってた?」
「いえ、いびきをかいてるとは言われたんですが、細かいことは特に。自分のいびきを細かく知る方法ってあるんですか? 妻に寝ている様子をずっと見ていてというのはさすがに酷ですし」
「それならアプリを使ってみるといいわよ」
「あ、それなら使ってみましたよ。でも、いびきと無音の繰り返しで、スコアはそんなに悪くなかったんですよね」
その言葉を聞いたママの表情がこわばった。
「司さん、あなたここでお酒を飲んでいる場合じゃないわ。お代はいらないから、すぐに帰りなさい。で、明日の朝イチで睡眠時無呼吸症候群外来に行くこと!」
「どういうことですか?」
「睡眠時無呼吸症候群の寝ている間の特徴として『呼吸が止まる』『いびきが止まったと思ったら大きな呼吸とともに再びいびきをかきはじめる』ということが挙げられるの。アプリにいびきと無音の両方が録音されているっていうことは、呼吸が止まっていた時間があるかもしれないっていうことなのよ」
「それってつまり、私には睡眠時無呼吸症候群の疑いがある、っていうことですよね?」
ママは真剣な顔で頷くと、不安そうな司を安心させるように大まかな診察の流れを話した。
「睡眠時無呼吸症候群外来に行くと、まず問診を受けることになると思うわ。そして、問診で睡眠時無呼吸症候群の疑いがあるとなったら、自宅で手軽にできる簡易検査をすることになるはずよ。その結果次第では、より詳しい検査が必要になって、もしかしたら1泊の入院をして睡眠と呼吸の質を調べることになるかもしれない。でも、どんなに忙しくても明日は絶対に行ってちょうだい」
ママの剣幕に押されて、司はすぐにスマートフォンで睡眠時無呼吸症候群外来をやっている病院を検索した。
「受診したらまたうちのお店に来て。で、結果を教えてちょうだい」
「はい、絶対に。約束します」
その場で明日の受診予約を完了させた司は、椅子から立ち上がると携帯電話をスーツのポケットにしまった。
こうして今日もまた一人、いびきに悩む子羊が「スナックいびき」の名物ママによって救われたのだった。
それではみなさま、どうぞ良い夢を……。
いびきや睡眠時無呼吸症候群について気になる方は、専門の医療機関を受診してください。
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